石アーチ橋 (古さ) 

   都道府県別データ一覧にある14~18世紀の石アーチ橋を「古さ」の順に並べたもの (沖縄・長崎への集中がよく分かる)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 末吉宮磴道橋 すえよしぐう・
とうどう
沖縄/那覇市 末吉宮 石アーチ橋
(石灰岩)
S1.8m(A) 1456年 県有形 WEB 原形保存 わが国で現存最古の石アーチ橋末吉宮に上がるための階段状の参道橋/アーチ部は、2枚の湾曲した石板から構成されている/壁石は乱積 1
写真 持橋(旧・慈恩寺橋) よもち 沖縄/那覇市 県道/龍潭(池)→排水路 石アーチ橋
(石灰岩)
  1456年→1661年移設   市教委/WEB 移築・一部保存改修度大/龍潭側は池で接近できず、さらに鉄柵もある(橋が残るのは龍潭側のみ) 橋にあった微粒砂岩製の「世持橋勾欄羽目」は、沖縄の石材彫刻中最も優れたものの1つ(県指定、沖縄県立博物館蔵) 3
写真 女橋 てんにょ 沖縄/那覇市 弁財天堂への参道/ 円鑑池 石アーチ橋
(石灰岩)
長9.75m,S3.3m(A) 1502年→1621年改修→1744年改修→沖縄戦で崩壊→1969年解体修理 国重文 市教委/現地解説板/WEB 沖縄戦で崩壊したものを復元(微粒砂岩製の高欄は新設) 当初名称:観蓮橋/アーチ部は、4枚の湾曲した石板から構成されている/壁石は布積、橋面石は繊細な組み合わせ/欄干は戦前にすでになくなっていた 2 写真
写真 淵橋 りゅうえん 沖縄/那覇市 人道/ 円鑑池~龍潭への注ぎ口 石アーチ橋
(石灰岩)
S1.75m(A) 1502年頃 県有形 WEB 沖縄戦で崩壊したものを復元 アーチ部は、3枚の湾曲した石板から構成されている(橋としては珍しい3心円アーチ)/壁石は乱積 1
写真 安波茶橋 あはちゃ 沖縄/浦添市 <中頭方西海道>/小湾川・アブチ川 石アーチ橋
(石灰岩)
長3.4m(A) 1597年頃 市史跡 WEB 復元と修景の合体(北橋の復元は平成10)=大規模な公園化 首里城と浦添・中頭・国頭方面を結ぶ宿道の一部/アーチ部は、3枚の湾曲した石板から構成されている/壁石は布積の変形 2
写真 長崎眼鏡橋 ながさき 長崎/長崎市 人道/中島川 石アーチ橋
(安山岩)
長22.35m,S8.07m(2A) 寛永11(1634)
→慶安元(1648)修復(前年の洪水による被害を受けて)
国重文 日本百名橋p229-231/馬場俊介/林 一馬/市教委 昭和57の長崎水害で右岸側のスパンドレル部流失→日本で初めてバイパス水路を造って原位置保存を行った 興福寺の第2代住持・黙子如定禅師(寛永9に中国から渡来)により寛永11に創建されたとされる(文書記録が寛文3(1663)の火災で滅失しているので、一部に異説もある)/如定が技術指導までしたのか、勧進のみ行い技術者が別にいたかも不詳〔如定の出身地・江西省には、中国で現存する最古級の石アーチ橋「栖賢橋(1014)」をはじめ16世紀以前に起源を持つ石アーチ橋があるが、すべて壁石・迫石背面が布積されており、長崎眼鏡橋との構造上の類似が目立つことから、如定の発案と見てよいのではないか〕/正保4(1647)の洪水で崩壊し、翌慶安元(1648)に「重修」されたとの18世紀以降の史料が複数あるが、この「重修」が修復か新架についても説が分かれる(初代の橋は石橋ではなく木造の虹橋であったという説もある、しかし、「寛永年間長崎港図」の写しをそのまま信ずれば、寛永11の当初から眼鏡橋だったと考えるのが素直)/沖縄を除く日本国内で最初の石アーチ橋(17世紀の沖縄は琉球王国だったので、「国内最古」からは除外)/撥型の束柱をもつ高欄→その後の石橋に大きな影響 1 写真
写真 大手橋 おおて 長崎/長崎市 一般道/堂門川 石アーチ橋 長12.5m,S4.5m(A) 慶安3(1650)
→享保6(1721)修復
  WEB(石橋)/市教委 昭和7頃、階段付きの上部を水平に改造/昭和57水害後改修(石アーチは橋の下に残る) 唐通事(中国語の通訳)・高一覧(寛永6に中国から渡来)の私財と、募った浄財で架橋/沖縄を除く日本国内で、現存する2番目に古い石アーチ橋(下記の「袋橋」が2番目だとする説があるが、論理的根拠がない) 3
写真 一瀬橋 いちのせ 長崎/長崎市 一般道<日見街道>
/中島川
石アーチ橋 長13.5m(A) 承応2(1653)   WEB(石橋)/市教委 側面に管類がみっともなく装着/高欄束柱一部補修/親柱後補 唐通事(中国語の通訳)・陳道隆が私財を投じて架橋 2
写真 古橋(旧・中川橋) ふる
(なかご)
長崎/長崎市 鳴滝川 石アーチ橋 長7.6m(A) 承応3(1654) 市有形 WEB(石橋) 親柱・高欄をそのまま埋め込んだ形で野面石で約1m嵩上げし、路面を水平に改造 唐通事(中国語の通訳)・林守殿が私費を投じて架橋/創架後崩流記録はない/径間が小さいため、布積になった壁石と迫石の接合部での鋭角が目立つ→破損を防ぐため矢じり形に加工 3
写真 袋橋 ふくろ 長崎/長崎市 一般道/中島川 石アーチ橋 長17.3m,S15.2m(A) 17世紀中葉? 市有形 WEB(石橋)/市教委 昭和57水害で迫石がかろうじて残るまで被災→修復・復元 「長崎眼鏡橋」の1つ下流側にあり、形態も非常に良く似ている/中島川の石アーチ橋については由来の判っているものが多いが、袋橋については架設者を含めて不明/「長崎眼鏡橋」に次いで古いとの説もあるが、論理的な根拠は一切ない 2
写真 円月橋 えんげつ 東京/文京区 小石川後楽園 石アーチ橋
(太鼓型)
(御影石)
長11.09m(A),幅2.32m 寛文5(1665)以降 特別史跡/特別名勝 東京都水道歴史館/江戸切絵図今昔散歩p31/WEB 平成22・23に解体・修復 石工:駒橋嘉兵衛/光圀公の命により、中国明の儒学者・朱舜水が設計したわが国初の石アーチとの俗説もあるが、光圀公の生年は寛永5(16
28)なので、長崎眼鏡橋(1634)より早いとは思えない。光圀公が朱舜水を招いた寛文5(1665)以降の完成と見るのが最も蓋然性が高い/解体調査時に121個の鉄ダボが石のズレ止めに使用されていることが判明
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写真 大覚寺の参道橋 おおどう 佐賀/佐賀市 大覚寺・参道/大覚寺井樋水路 石アーチ橋 長4.0m(A),幅2.3m 寛文12(1672)   WEB(石橋) 保存状態良好 県下で最古の石アーチ橋/高欄・束柱の装飾性は高い/束柱に「寛文十二壬子歳/南呂上旬」(緑字は古字)と建立年が刻字/系譜不明 1
写真 桃溪橋 ももたに 長崎/長崎市 西山川 石アーチ橋 長13.0m,S9.8m(A) 延宝7(1679) 市有形 WEB(石橋)/市教委 昭和57水害で迫石がかろうじて残るまで被災→修復・復元 僧卜意の募財により架橋/河畔に桃の木が多くあり、桃の名所として有名だったことから命名 2
写真 熊野神社の眼鏡橋 くまの 福岡/筑後市 熊野神社 石アーチ橋
(凝灰岩)
長5.25m,S5.2m(A),幅3.01m 元禄10(1697) 県有形 市教委
/WEB(石橋)
修復履は不明だが、一部組みかえられている 石工:富永仁右衛門/17世紀の石アーチ橋/精緻な装飾高欄/壁石が少なく、橋面も円弧状 2
写真 法音寺橋 ほういんじ 長崎/平戸市(平戸島) 人道/鏡川 石アーチ橋 長5.3m(A) 元禄10(1697)   WEB(石橋)
/WEB
保存状態良好 幸橋着工前に試しに架けられたものだと言われてきた(証拠はない)/幸橋よりもスパンドレル部が少なく、ほとんど迫石だけで安定を保っており、技術的にはより高度(「試し」という通説には一定の疑問が派生する) 1
写真 東間小学校前の石橋 ひがしあいだ 熊本/人吉市   石アーチ橋
(凝灰岩)
S2.2m(A),幅7.3m 17世紀末~18世紀初?   WEB(石橋) 上部はC舗装され、不可視 合掌式の2石アーチ橋=距離にして近い湯前町の幸野溝の石合掌隧道の石組の粗さに類似→同時代の可能性 3
写真 下原橋 シチャーラ 沖縄/那覇市 一般道/金城川  石アーチ橋
(石灰岩)
長4.0m(A) 17-18世紀?   WEB(石橋) 上流側がガードレール化されている以外は、オリジナルで現役(2t未満) 裏面から見たアーチの迫石は大きさがかなり不揃い/壁石は乱積み 2
写真 羅漢橋 らかん 長崎/長崎市 滝の観音 石アーチ橋 長5.8m(A) 元禄13(1700)   WEB(石橋) 昭和57水害で流失→昭和61復元 中国人の商人・許登受が加護御礼に献じたと言われる/中国風の太鼓型の石アーチ 2
写真 幸橋 さいわい 長崎/平戸市(平戸島) 人道/鏡川 石アーチ橋
(玄武岩)
長18.6m(A) 元禄15(1702) 国重文 WEB 昭和59解体復元 松浦家30代棟(雄香)の命により、地元の石工たちによって架設/アーチの技術は、豊前という名の大工が、和蘭商館の石造倉庫建造に携わって覚え、その技術を地元の石工に伝授したものと伝えられる/『御家世伝草稿』には、「長崎の石工に見積もりを頼んだら金額が高かった。そうしたところ、平戸の石工が、長崎の橋は、もともとオランダ商館倉庫建築の技術をもとにしている。自分たちもその技術を受け継いでいるので、自分たちに作らせてほしいと申し出た」との記載がある→長崎市内の石アーチ橋の起源にも係わる重大な記述(長崎眼鏡橋については明僧・如定の貢献は否定できないが、その他の石アーチの一部には、オランダ商館で働いた石工の経験が生かされた可能性もある) 1
写真 真玉橋遺構 マダン 沖縄/豊見城市 <真珠道/国場川> 石アーチ橋
(石灰岩)
長約38m(5A)→(A+A) 1708年→1837年大改修→沖縄戦で崩壊→
2002年旧橋の遺構が発見・2基分が部分保存
市建造物 市教委/WEB 2ヶ所に分けて移設・保存オリジナルの石材が残るのは一方のみ/修景+大きな解説板 首里城と那覇港を防御する目的で、尚真王によって架けられた橋/古い迫石が残っている方のアーチ部は、5枚の湾曲した石板から構成されている/壁石は乱積 2
写真 無量寺橋(寺橋めがね橋) むりょうじ 熊本/天草市 無量寺参道(一般道)
/久玉川
石アーチ橋
(花崗岩)
長8.15m(A),幅2.85m 享保元(1716)
→明治26 修復
  WEB(石橋) 路面舗装 欠円アーチ/石の親柱を擬宝珠風に加工(無量寺の格式が高かったため)、束柱も装飾的 2
写真 池田矼 いけだ・はし 沖縄/宮古島市
(宮古島)
<下地矼道/崎田川> 石アーチ橋
(石灰岩)
長36m→約10m,S2.5m
(A)
1727年以前→1817年修築 県有形 現地解説板/WEB アクセス路の石垣の大半が喪失/対岸が製糖工場で遮断/コンクリート製の低い高欄 アーチ部は、3枚の湾曲した石板から構成されている/壁石は布積の変形 3
写真 報得橋 むくえ 沖縄/糸満市 <県道・奥武山~米須線/報得川> 石アーチ橋
(石灰岩)
S3.1m(A) 1732年→沖縄戦で崩壊→1993年発掘・移築 市有形 市教委/WEB 沖縄戦で崩壊したものを移設・復元/幹線道路脇に野越されているが駐車スペースもない アーチ部は、3枚の湾曲した石板から構成されている/石工4687名と人夫11668名を動員/壁石は乱積片側のみ、建造当初の石組が残る 3
写真 ヒジ川橋 ヒジガー 沖縄/那覇市 ヒジ川橋取り付け道路(人道)/安里川<金城川> 石アーチ橋
(石灰岩)
長13.18m,S3.5m(A) 1733年頃 県有形 市教委/WEB 金城ダムの築造にあたり、周辺整備 アーチ部は、4枚?の湾曲した石板から構成されている/壁石は乱積橋面は2段の太鼓型 1
写真 図月橋 とげつ 石川/金沢市 尾山神社庭園
<金谷御殿庭園>
石アーチ橋
(弓型)
長10.4m(3A),幅1.5m
享保19(1734)以降? 県名勝 市教委(石川県の文化財)/WEB 保存状態良好/通行禁止 多くの地元WEBサイトでは、図月橋の建造年代を寛永19(1642)頃とし、神社が建てられる以前の金沢城出丸金谷御殿の庭園橋と書いているが、すべて同じ出典と思われる/『城下町金沢学術研究1』の第1分冊(金沢市、2010、p.30には、「享保19(1734)に金谷御殿が建設され」とあるので、それ以前から庭園があったとは考えにくい→図月橋の建造年は享保19以降に下ると考えるのが妥当であろう/ただ、迫石が各アーチ3個という少なさは、九州の定番的な石アーチと比べれば異例であり、側壁の「薄い石材をまばらに埋め込んだ漆喰(?)壁」という構造も異例である。江戸時代に九州以外で造られた石アーチはきわめて少ないが、その中でもひときわ特異であり、「誰が、どうやって」という経緯について、今後の学術的な研究の成果を待ちたい 2
写真 雪鯨橋 せつげい 大阪/
大阪市(東淀川区)
瑞光寺 石アーチ橋
(弓型)
長約6m,幅約3m 宝暦6(1756) 市民俗 WEB(大阪市) 文政12(1829)~平成18に5回欄干の骨部材を交換 欄干がクジラの顎骨で造られている橋/江戸期の大坂は鯨肉の大消費地であり、産地の紀州熊野浦の漁民により欄干の鯨の骨の取り替え、橋の修復が行われていた 1
写真 五百羅漢の石反橋 ごひゃくらかん、そり 島根/大田市 羅漢寺<石見銀山> 石アーチ橋
(太鼓型)
(福光石)
(3基)
長4.5m,S4.2m(A)
明和元(1764) 世界遺産/国史跡/ 日本百名橋p185-186
/WEB(石橋)
保存状態良好 アーチを構成する輪石が橋面石も兼ねた非常にシンプルな構造(ほぼ20㎝角、長約2mの台形断面角柱石材約20本を円弧状に並べたもの)→よほどアーチの技術に長けていないと造れない→江戸時代、九州からほとんど出なかった「アーチの技術」がどういう形で石見にまで伝わったかは不明/銀山川を挟んで掘られた3つの石窟に入るための橋/高欄の欄間に雲形文 1
写真 祓川橋(めがね橋) はらいがわ 福島/福島市 駒山公園
<羽黒山参道/祓川>
石アーチ橋 長8.5m(A),幅5.5m,
有効幅4.7m
安永年間(1772-81) 市有形 市教委/WEB 昭和45に公園内に移築/移築の際に破損部分を修復 古関三郎治が寄進/東北地方で唯一の江戸期の石アーチ/両側の楔石に鶴と亀の浮彫り 2
写真 洞口橋(日渡洞口橋) とうぐう(ひわたし) 熊本/山鹿市 <人道/前川> 石アーチ橋
(凝灰岩)
長6.0m,S5.2m(A),
幅0.58m
安永3(1774) 市有形 WEB(肥後石工)
/前川清一
平成5の洪水で流出→平成6復元・展示 石工:仁平(ただし、「仁平=仁平組の元祖」という通説は間違い)/太柄(だぼ)を用いて迫石を固定するタイプで最古の橋=仁平が細川藩より阿蘇黒川に眼鏡橋架橋を命ぜられ、築造上最も重要なアーチ部分を試作したもの/長さ約85㎝の石材を7本継いだリブアーチ 3
写真 妙経寺の庭園橋 みょうきょう 大分/杵築市 妙経寺・庭園 石アーチ橋
(合掌式)
長2.9m(A)

安永4(1775)

県名勝 WEB(石橋)/市教委 保存状態良好
(このサイトでは原則として庭園橋は除外するが、特殊な構造のためリストに含めている)
わずかに弓なりになった2つの石梁が中央で合掌しアーチを構成する構造/大分県に2橋、熊本県に1橋存在する近世(?)の合掌式アーチ(豊後高田市と熊本県人吉市)と同一構造だが、両端もしっかり固定されており最も安定感が強い 1
写真 平熊の石橋 ひらくま 鹿児島/霧島市 谷川/松永用水路 石アーチ橋
(凝灰岩)
長3.8m(A) 安永6(1777) 市有形 WEB(石橋) 保存状態良好 松永用水に直接流れ込んでいた谷川水が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、石橋で用水路を渡す形に改造した/由来を刻んだ
「石洗越の碑」(同年)が脇に建つ
1
写真 黒島神社の石橋 くろしま 鹿児島/姶良市 黒島神社/山田川支流 石アーチ橋
(凝灰岩)
長6.1m,S2.38m(A) 天明4(1784) 市有形 姶良町教委
/WEB(石橋)
保存状態良好 石工:平山得右衛門/三角アーチに近い特異な構造(頂部に大きな要石)/壁石は布積崩し(石組が見事)/橋の袂に記念碑(下記参照)が建つ 1
写真 跨虹橋 ここう 広島/広島市(中区) 縮景園 石アーチ橋
(太鼓型)
長7.7m,S2.7m,幅2.0m 天明6(1786)   日本の木の橋・石の橋p146/WEB
(石橋)
保存状態良好 御影石の切石積の単径間アーチ橋/天明6(1786)に第7代藩主浅野重晟が縮景園の大改修を行った際に、京都の庭師であった清水七朗右衛門に命じ、二度の築き直しを経て現在の形に作られた 1
写真 恒吉太鼓橋 つねよし 鹿児島/曽於市 人道/月野川 石アーチ橋
(凝灰岩)
長15.6m,S7.7m(A) 寛政2(1790) 市有形 WEB(石橋)/市教委 崩落した部分の高欄のみ修復 壁石:布積崩し/虹型を描く/高欄は崩壊した部分が新しく作りかえられした 1
写真 識名園石橋(北) しきなえん 沖縄/那覇市 識名園 石アーチ橋
(石灰岩)
  1799年 世界遺産、国特別名勝 市教委/WEB 保存状態は完璧 未加工の自然岩と一体化した特異な橋/アーチ部裏面のみは整形加工/橋面は3段の太鼓型 1
写真 識名園石橋(南) しきなえん 沖縄/那覇市 識名園 石アーチ橋
(石灰岩)
  1799年 世界遺産、国特別名勝 市教委/WEB 保存状態は完璧 橋面は7段の中国風の太鼓型/それに合わせて、高欄も弓なりになった面白いデザイン 1
写真 識名園石橋(六角堂前) しきなえん 沖縄/那覇市 識名園 石アーチ橋
(石灰岩)
  1799年 世界遺産、国特別名勝 市教委/WEB 保存状態は完璧 橋面は4段の太鼓型(中央のアーチ型開口部は、下部を半円状、上部を凸状に加工した1つの石でできている)/高欄のない単純な構造 1
写真 馬場の石橋 ばば 熊本/天草市 一般道 石アーチ橋
(凝灰岩)
長4m,S3.2m(A),
幅2.7m
江戸中期   WEB(石橋) 上部C化 下浦石工/合掌式の2石アーチ橋 2